Author:大館市観光協会
秋田県にある
『大館市観光案内所』です。
大館の「今」を、みなさまにお届けします!
公式サイト どだすか大館
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秋田犬は支那(現在の中国、またはその一部)から渡来したものであることは、現に私がアモイで入手して現在所蔵している漢時代の土偶の犬の形の耳が立って、尻ッ尾を巻き、秋田犬とソックリであることがそれを証明している。
しかし、その犬が支那産であるかというと実はそうでない。
支那の古書に「書経」がある。その「旅獒(ゴウ)第七」には、周の文王に対して太公望が、「王のように舶来品ばかり使っては、国産が衰えるからおやめになっていただきたい」と上書したことを記した一篇がある。この最初に
「西旅獒(ゴウ)ヲ獻ス西旅厥ノ獒ヲ底シ貢ス、太保乃チ旅獒ヲ作リ、用テ王ヲ訓ス」
という、一節がある。この獒とは、大きないぬのことで、古註本によれば「高サ四尺ヲ獒トイフ、大ヲ以テ異と為ス」と記されており、馬融は、「四尺ノ犬トハ雨雅の釈獣ノ言ナリ」といっている。杜預の注釈にも、「獒ハ猛犬ナリ」とある。そしてこれらの大犬が、西旅、即ち西戒遠国から舶来されたものであるを指している。
ではその旅獒の原種の産地はどこか。
私はチグリス、ユーフラテス流域の、メソポタミア平原のバビロン、アッシリアであると推測する。その根拠は、私はかつてある本の写真で、アッシリア王の貿易船にあたえたセメントで造られた葉書大の免許証を見たことがあるが、その中に獒があきらかに刻みこまれていたのである。この獒が秋田犬の先祖である。
参考文献:地天老人一代記 木村泰治自叙伝 より
作者である安藤照氏が、貞明皇后に献上された伏臥像と一緒に同一のものを二つ作製、一つは忠犬ハチ公の主家上野家へ、一つは大館市木村泰治氏へ贈られた。
この像はこれまでに二回だけ一般公開されている貴重な銅像である。
参考文献:千葉 雄 氏
「忠犬ハチ公物語」― ハチはほんとうに忠犬だった ― より
忠犬ハチ公の存在を新聞でしった貞明皇后が「世にも珍しい犬もあるものよ。その犬を見たいものだ」と側近にもらしたという話を聞き、当時の皇太后太夫の入江守子爵を訪れ、「皇太后様には、忠犬ハチ公をご覧あそばされたいとのご所望と洩れ承わるが、ご覧に供してはどうか」と話をもちかけた。
これに対して入江守皇太后太夫がいうには、「折角の御厚志ではあるが、陛下に犬はご覧に供に兼ねる」というわけだった。
では、ハチ公の模型を製作して献上するから、それをご覧に供していただきたいというわけで、当時彫刻界で遺風をを放っていて、知人でもある安藤照(美校教授)氏に託した。
安藤氏もこれを身にあまる光栄とばかりに、無報酬で快く受諾、私は模型の地金代とか熱用の木炭代の実費として千円を安藤氏へ贈った。
安藤氏は当時の事とて、皇太后献上用品としてこの模型を文字通り斉戒沐浴して謹製し、献上した。その際、献上品と一緒に他に同一のものを二つ製作、一つは私に、一つは忠犬ハチ公の主家上野家へ贈った。
後日、東京渋谷駅頭や大館駅頭に建てられたハチ公の銅像は、私の所有する模型にかたどって安藤氏が再びその製作にあたったもので、特に戦前大館駅頭を飾ったハチ公の建像費は、私が匿名で全部を負担し、台石の分だけを全県の小学生その他から一人一銭、二銭と醵金を仰いだものである。(現在その台石は、秋田犬会館前にある「望郷のハチ公」の台座となっている)
しかし、原型だった渋谷駅のも、大館市のも、戦争中徴発されてしまって、結局ハチ公の真の銅像は、大館市の木村氏の蔵の中に保存している小型の銅像一基だけになってしまった。
現在渋谷駅にある銅像は、安藤照氏令息安藤士(たけし)氏が、博物館にあるハチ公の剥製を見てつくられたもので、実際のハチ公とは大分違っている。
参考文献:地天老人一代記 木村泰治自叙伝 より