こんばんは

台風一過と言っていたのもつかの間・・・
また、雨です。
明日は、大館大文字まつりなのに・・・・・
天気は大丈夫なのでしょうか?

午後3時ころの大館です。
突然の強い雨・・・・・ そして さびしげな路地
先日 お伝えしたゼロダテ。 商店街の店舗で展示中の作品は
まだ拝見してなかったので よ~しっと気合いを入れて出発しました。(雨だったので)
傘をさしながら いつも 歩くコースをてくてく進行
「第17回 まちじゅう美術館」 も開催中なので

写真を1枚と思い 秋田県北部男女共同参画センターへ お邪魔しました。
すると なんと!!!!!!!!! 聞き覚えのある声が・・・・・・
彫刻家の
松田芳雄先生に偶然 お会いすることができました。
そして、貴重なお話をお伺いすることができたのです。
チェコ共和国で 「秋田犬」 が大変人気があることをご存知ですか?
秋田犬が プラハに渡ったのは1998年
松田先生が、当時チェコで行われた国際的なボランティア活動に参加し、
その時出会った、活動の中心人物であり、愛犬家であったチェコの画家
イジー・ハンプル氏夫妻に「秋田犬」をプレゼントしたことでした。
そのお返しにと、チェコ国内でも数が少なかった「プラシュスキー・クリ
サジーク(プラハのねずみとり)」が贈られました。
松田先生が参加したボランティアとは?
一夜にしてナチスに滅ぼされたチェコの村「リディツェ」の焼け跡となった野原に、
当時殺害された子供達の銅像を建てるというものでした。
<リディツェ村の悲劇>は、
ヨーロッパでは教科書に出てくるほどの大きな歴史的事件だそうです。
ナチスは一晩で成人男性を全て銃殺、女・子供をアウシュビッツなどの収容所に送り、
村全体を破壊し、火を放ち、村を消滅させました。奇跡的にも収容所から終戦と同時に
帰ることができた子供達「リディツェの子供達」の一人である女の子が彫刻家となり
「リディツェの子供達」と題する82体の石膏像を一生を費やして作り続けました。
戦争の悲劇を永遠に忘れないために、形として残すことが
必要だと思った彼女は、
この石膏像を銅像にしてリディツェ村跡の草原に建立したいと考えたのだそうです。
これを機に地元の芸術家が彼女を手伝いはじめ、企業や多くの資産家が資金援助を
申し出、世界中に知れ渡り、平和を願う銅像づくりを手伝うための寄付金が集まりました。
松田先生も、秋田の人たちからの呼びかけで集まった寄付金を持ってチェコへ飛び、自らも
彫刻家として手伝い、何年にもわたりチェコへ通いました。
石膏像を作った彼女は、松田先生がチェコへ通うはるか前に亡くなられたので、
完成品を見ることはありませんでしたが、遺志を受け継いだ人々の志で銅像は完成。
こうして2002年6月、全ての「子供達」は、かつてのリディツェ村だった場所に
帰ることができたのです。
松田先生の作った像は「秋田坊や」と呼ばれているそうです。
参考 クリサジーク・クラブ・オブ・ジャパン http://www.krysarik.net/
そして、プラハ音楽院本課生 田中泰子さん
(大館出身 第30回 チェコ全国音楽院性による
管楽器コンクール トランペット部門総合1位受賞)
をとおして
松田先生 作 十和田石 で作られた
ハチ公像が
プラハのヨーロッパ秋田犬支部に贈られるのだそうです。

9月頃に
プラハへ旅立ちます。
大館から プラハ へ旅立った「秋田犬」
そのきっかけには このような出来事があったんですね。
今日は
終戦記念日 今日この日に このような お話をお伺いすることができて
そして、これからプラハに旅立つ ハチ公像に触れることができて
とても 感極まる 私です。
数々の戦争という争いで亡くなられた尊い命に そして、亡くなられた皆さんの
ご冥福を祈り 世界中に平和が訪れることを心から祈ります。
スポンサーサイト